コロナ渦のいまこそ読むべき、小説『三体』

虫けらどもの戦い


こんにちは、コームナタ編集長のakiです。

今回は、海外のニュースではなく小説のレビューをしようかと思います。


今回レビューするのは、中国の小説家・劉慈欣(りゅうじきん・Liu Cixin)のSF小説『三体』です。SFの最高賞と呼ばれるヒューゴー賞を受賞し、中国のみならず世界的にに大ヒットした小説です。日本語版も出版されこちらも大ヒット中、今年になって続編の日本語版も出版されています。



未知との遭遇

あまりネタバレをするのは良くないのですが、このお話は「未知との戦い」です。作中でも本当の意味で血肉の争いとなります。SFなので「未知」というのは当然「宇宙」な訳ですが、いま私たちが対峙する「ウイルス」という未知を目の前にして、非常に示唆に富んだ作品ではないかと私は考えています。


宇宙文明と遭遇したことにより警察や知識人を巻き込んだ混乱の様相はまさに現在のコロナ渦を見ているようです。SF作品なのか、いまの世界の話をしているのか、途中から本当に分からなくなります。





虫けらは未知にどう打ち勝つ?

この作品では、地球よりはるかに高度な宇宙文明に対して地球の人間のことを「虫けら」という表現する場面があります。しかも、ただ「弱々しい」という意味で言っているわけではないのです。


例えば、私たちにとってゴキブリは「虫けら」の一種です。しかし、これまで家からゴキブリを殲滅させようと多くの人が努力し、強力な殺虫剤がいくつも発売されてきたにもかかわらず、全くゴキブリはいなくならない。つまり、結局のところどんなに大きなものに踏みつぶされても「虫けら」はしぶとく生き残って来たわけです。


さて、今回のコロナウイルスと人類では、どちらが「虫けら」なのでしょうか。大きさで言えば、ウイルスというのは私たちから見えもしない「虫けら」以下の存在かもしれません。が、いま劣勢になっているのは明らかに人間の方です。ということは、宇宙文明と同じくウイルスから見ても「虫けら」に過ぎない人類が必死に耐えているということなのでしょうか。ということは、つまりそれは人間がしぶとく生き残るということなのでしょうか。はたまたウイルスは人間からすればやはり「虫けら」に過ぎず、いまはたまたま人間が痛い目を見ているだけなのでしょうか(真偽は別として、コロナはただの風邪という人もいますしね)。



この『三体』の連載が中国で始まったのは実に15年近く前のことです。いままさに『三体』世界が立ち現れているのではないかと感じさせられる小説でした。



お読みいただきありがとうございました。



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